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インドコイン通史-2
2024年2月29日
先月はサクッとインドのコイン通史について書くつもりが、最初のクシャン朝で終わってしまいました、今回は中世のグプタ朝から、できればムガールの初期あたりまで書いていきたいと思います。
グプタ朝
クシャン朝は1世紀のなかごろから3世紀ごろにかけ、インドの北西部から今のアフガニスタンあたりにあった国です、その版図はインド北部に偏っており、アフガニスタン周辺から南下してきた遊牧騎馬民族の影響を強く受けていました。
クシャン朝時代のインド地図:「世界史の窓」サイトから転載
コインにも北方系遊牧民族の影響がしっかりと残っています。
ディナール(金貨)、テトラドラクマ(銀貨)などに描かれた領主像を見ると、下の写真のようにスカートにブーツを履いており、胸元がピッチリ閉じられた服を着ています。馬に乗った時に風を通さない工夫でしょう。
(クシャン朝のディナール、シャカ王時代)/「ときいろ」のサイトより
クシャン朝の末期にはお隣からやってきたササン朝のペルシアによって支配され、その後4世紀にかけ徐々に衰退してゆきます、この時代を「クシャノ・ササン朝」(=ササン朝統治下のクシャン朝)と呼びますが、コインとしては見るべきものはありません。相変わらずクシャン様式のディナールも発行されましたが、つくりは薄っぺらくオリジナリティもありません。
クシャン朝に代わってインドの主要部分を統治したのはグプタ朝です。
グプタ朝はクシャン朝と違って、その中心はインドのど真ん中、すなわちデカン高原の南端を除くほぼ全地域を版図にしていました。地図をくらべても両王朝の重心の違いがよく分かります。大雑把に言ってしまえば、グプタ朝には北方騎馬民族的な要素が少なく、その意味でよりインドオリジナルな文化的な要素、あるいは宗教をはぐくんでいったのではないかと思います。
クシャン朝時代のインド地図:「世界史の窓」サイトから転載
グプタ朝のコインにもインド独自色がよく表れています、以下は2代サムドラグプタ王(335-380年)時代に発行された金貨ディナールです。
(グプタ朝のディナール、サムドラグプタ王時代)/「ときいろ」のサイトより
この銘柄は、グプタ朝初期に発行されたもので、まだいくばくかクシャン様式を踏襲しているように見えます、オモテのサムドラグプタの肖像をみると、上半身は胸元まで肌が露出されており、北方的な痕跡は見えません、一方で下半身をみますとブーツを履いており、クシャン朝の影響が見られます。
ウラ面はヒンディーの神様ラクシュミで座椅子に座っています。クシャン朝はカニシカ王の時代に仏教に改宗しましたが、グプタ朝の歴代王様はヒンドゥー教を信仰していたようです、そのような宗教的な背景が、グプタ朝のコインにも表れているといっていいでしょう。
時代の経過とともに、グプタ朝のコインは徐々にクシャン朝時代の北方的要素が薄まり、インド固有の進展を見せてゆきます、上半身は暑いインドに適応するため、裸に近い状態になってゆきますし、図柄も「騎乗の王様」、「弓をひいてライオン狩りを楽しむ王様」「胡坐をかく王様」、「王と王妃の立像」など、ヨーロッパではちょっと考えられない、独創的な図柄が増えてゆきます、このあたり、たとえばローマ帝国のアウレウスコインとは対照的です。余談ですが僕が一番好きなのは「象に乗った王様」ですが、いまだ実物は見たことがありません。
下のコインは典型的なグプタ朝のディナールの一つで、4代目のクマラグプタ王(在位AD414-455年)の時代に発行された金貨です。クマラグプタ時代は北方の遊牧民エフタルの侵入によって経済的な衰退がはじまり、金貨の鋳造量も減ったといわれていますが、それでもこのように面白いコインを残しています。
図柄はオモテに馬に乗る王様が描かれており、ウラはヒンディーの神様ラクシュミで座椅子に座っています。さきほどのグプタ朝初期のコインと比べると、随分と東洋的になっているのがわかります。
(グプタ朝のディナール、クマラグプタ王時代)/「ときいろ」のサイトより
グプタ朝のディナールを投資という観点で見るならば
さて、ここからは投資という視点でグプタ朝のコインを見たいと思います。古代コインというくくりでは、前回のクシャン朝と同じジャンルになりますが、市場への出現数という観点で見た場合、両者には大きな差があります。
前回僕はこの欄で、クシャン朝は西のローマと東の漢という両大国の間にあり、貿易の中継地点として機能していた的なお話しをしました、その結果、大量のギリシャコイン(特に貿易金としての性格をもっていたアウレウス金貨)が大量にクシャン朝に流れ込み、クシャン朝でディナールに改鋳されたというお話もいたしました。
そのような背景があり、クシャン朝のディナールは相当数発行されたのではないでしょうか、もちろんギリシャのアウレウスに比べると随分と少なかったはずですが、それでも同時代の金貨の中ではたくさん発行されていたと思います、そんな経緯もあり、今でもクシャン朝のディナールは美品クラスで30万円前後、極美品クラスで40-50万円、未流通クラスでも70-100万円ほどで入手可能(注)です。
注)もちろん銘柄によって値差は随分あります、特に人気があるのはカニシカ王ですが、それ以前に発行されたヴィマ・カドフィセスも高値を付けます、ただしヴィマ・カドフィセスはめったに出てきませんので、状態の良いものならいかほどの値が付くか、出てきてみないとわからないという状況です。
ちょっと脇道にそれましたが、ここからは本題のグプタ朝です。上記のような背景もあり、グプタ朝のディナールは、クシャン朝のそれに比べると出現頻度は少ないです、感覚的にクシャン朝10枚に対し、グプタ朝が1枚出てくるかどうかです。グプタ朝の時代は貨幣経済が後退し、コインの需要が減っていたのかもしれません。
当然ながら相場もグプタ朝のほうが高いですし、最近の値上がりも顕著です、本欄冒頭で僕は「グプタ朝はインドのど真ん中」というお話しをしましたが、インドの人たちにとって、グプタ朝のディナールはより親しみ深いコインなのかもしれません。
ご参考までに現在の相場を紹介しますと、美品クラスでも、オークションで40-50万円はしますし、極美クラスなら100-150万円前後が落札相場(注)です、最近見ていませんが、もし未流通クラスが出てくれば、いったいいくらの値が付くかわかりません、ホンの3年ほど前なら極美品クラスで50万円ほど買えていましたので、ここ数年で随分と相場が上がってきた印象です。
注)この金額は、比較的よく出てくるありふれた銘柄の価格です、最近「弓をひいてライオン狩りを楽しむ王様」をみていませんが、この独創的なコインが市場にでてきたら、相当競ると思います。
グプタ朝のディナールについて一点ご注意いただきたいのですが、大手鑑定会社のNGC/PCGSはクシャン朝と同じくグプタ朝も鑑定できません、大手で唯一鑑定人がいるのはアメリカのANACS社ですが、このANACSケース入りのグプタを見つけるのは簡単ではありません、そもそもグプタ朝自体が希少なうえ、ANACS入りとなればさらに難易度が高まります、グプタ朝のディナールで贋作を僕はまだ見たことがありませんので、未鑑定の裸コインでも十分投資に値すると思います。
以上今回はグプタ朝をとりあげました、次回は中世インド諸国が発行した金貨、たとえばヴィジャヤナガル王国やチョーラ朝から、ムガール帝国あたりまでお話ししたいと思います。
大半の方はこんな話題に興味ないと思いますが、投資という観点で見れば結構大きな意味をもっていると思います、どうぞもうしばらくお付き合いください。
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