過去に書いた経済コラムよりFrom the economic column I wrote in the past
483年前のできごと
2026年3月30日
日本に鉄砲が伝わったのは483年前と言われています。
1543年、種子島に漂着したジャンク船(注)に、たまたま乗っていたポルトガルの商人から、当時の島主(種子島時尭という人だったそうです)が2丁の鉄砲を買い取ったのが日本の鉄砲史の始まりだと言われています。
注)中国の在来工法による大型船です。よくポルトガル商人は自国の船でやってきたと言われますが実際には違います。当時ポルトガルはすでに中国と交易しており、ポルトガル人は中国の船で種子島にやってきました。上で僕はポルトガル商人がたまたまジャンク船に乗っていたと書きましたが、実際には日本との交易という明確な目的をもってやってきたのかもしれません。
島主はその2丁の鉄砲と製法の一部を37キログラムの銀で買い取ったそうです。現在の銀価格は1グラムあたり税込み400円ほどですので、現在の貨幣価値でいえば1500万円ほどになります。
たった2丁の鉄砲の代金として1500万円は法外な値段ですが、結果としてこの1500万円は超お買い得でした。
その後ただちに種子島時尭は家臣に鉄砲の複製を命じました、当時の日本は戦国初期で刀剣の生産が盛んでした、時尭には「もしかしたら造れるかも」との期待があったのでしょう。その通り日本には高度な金属加工の技術があったのですが、鉄砲の製造に関しては2つの問題点がありました。
一つ目の課題は鉄砲の底の閉じ方です。ここが弱ければ発砲の際に底が抜け事故が起きてしまいます。残念ながら当時の日本にはその技術はありませんでしたが、ある鉄砲鍛冶が自らの娘をポルトガル人に差し出すことによって教えてもらったと伝わっています。
課題の二つ目は火薬の調合方法です。鉄砲の火薬は木炭、硫黄、硝煙を調合することによって生成されますが、そのうち硝煙の作り方はわかっていませんでした。海外から輸入することはできましたが、種子島時尭がこだわったのは島の中での生産でした。
おそらく硝煙の製法もポルトガル人に教わったのでしょうが、彼らは木炭・硫黄・硝煙の調合割合はどうしても教えてくれませんでした、おそらく日本国内で大量生産されることを嫌ったのでしょう。ポルトガル人にとって火薬の輸出は巨利を生みますので。
その観点でいえば、彼らがなぜ鉄砲本体の作り方、特に底の閉じ方を教えてしまったのか解せません。鉄砲を日本に輸出できれば、先ほどの火薬と同じく巨利を生むはずです。
ここからは僕の推測ですが、おそらく彼らは日本人の技術力を見誤っていたのではないでしょうか。ポルトガル人は日本にたどり着く前、インドや東南アジア、中国などですでにアジア人と接触しています。当然ながら鉄砲の輸出を期待して、日本同様、彼らに鉄砲のサンプルを提示ししたはずですし、商材としてすでに販売もしていたでしょう。
そのような経験から彼らは日本に対しても、一定の技術情報とともに鉄砲を売り渡すことに不安を感じなかったのではないでしょうか。鉄砲の生産には高度な金属加工技術が求められます、きっとポルトガル人は日本に技術の基盤がないと考えたのでしょう。
ところがポルトガル人の予想は外れました。日本人はすぐさま数丁の鉄砲を複製してしまいました、しかもその出来栄えは銃身の堅牢さの点でオリジナルを超えており、ご丁寧に操作部分には装飾まで施されていました。複製したのは鉄砲だけではありません、火薬も島の中で生産できるようになっていました、懸案だった木炭・硫黄・硝煙の配合比率を試行錯誤によって独自に解明したのです、驚くことにその調合割合は現在の製法と変わりありません。
ポルトガル人を乗せたジャンク船は5か月ほど種子島に滞在したのですが、その船が修理を終え出港する時点で、すでに島の中には600丁の鉄砲があったと記録されています。
その後の鉄砲の広がりは皆さんご承知の通りです。わずか60年後に日本全国で50万丁の鉄砲が使われており、これは当時の世界最高水準でした。
事例をもう一つ
僕はこの話を聞きますと蒸気船の話を思い出します。教科書には「ペリーが蒸気船でやってきた」という話しか載っていませんが、僕が驚くのはペリー来航の数年後に、3つの藩が蒸気船を作ってしまったというお話のほうです。
日本で初めて蒸気船を作ったのは薩摩藩で1855年のことでした。欠点がある船でしたが、翌年の1856年には東京から薩摩までの航海に成功しています。あのペリー来航からわずか3年しかたっていません。他にもからくり義衛門で有名な田中久重(注)が中心になり、佐賀藩が1863年に小さな蒸気船を竣工させました。
注)東芝の創始者にあたる人で、「からくり義衛門」と呼ばれていました。「からくり」は「からくり時計」や「からくり人形」のからくりで、義衛門さんはなんでも工夫して作ってしまう人でした。
483年まえの鉄砲。そして幕末の蒸気船。いずれも日本人が持つ特性をよく表していると思いますし、その延長線上に今があると思います。
異常なまでにモノづくりに執着し、短期間のうちに外来の技術を習得してオリジナルを超える製品を作ってしまう・・、これは日本人が持つ天性の現れだと思います。ほかにこのような技能を持つ国民がいるでしょうか。
いまでもこの特性は失われておらず、電子部品や半導体、自動車、鉄鋼、造船などの産業で日本人はその特性が発揮していると思います。作りの緻密さ、精巧さ、堅牢さで日本人の右に出る民族は見当たりませんしおそらく今後も同様でしょう。
最後に下世話な話になりますが、
このあたりを僕は株式投資の手掛かりにしたいと思います。
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