過去に書いた経済コラムよりFrom the economic column I wrote in the past
勤労の概念が変わる時代に
2018年9月末日
勤労・・・真面目に働くこと。
はたして勤労は素晴らしいことなのでしょうか・・・最近時々考えてしまいます、僕は昭和に生まれ昭和に育ちましたので、いままで何の疑いもなく勤労は素晴らしいことだと思い込んで生きてきました、リタイアする歳でもないのに毎日仕事もせずにブラブラしている人が周りにいたら、社会のルールから外れた人、落ちこぼれなどと心の中で蔑んできたものです。
でもこの考えは僕の中で少し変わりつつあります。
勤労はそれほど素晴らしいものなのでしょうか、例えば時代とともに人間にとって必要な労働時間は変化してきました。例えば僕がまだ子供のころ、父親は月曜日から土曜日まで仕事をしていたものです、学校も土曜は半ドン(懐かし・・)といって午前中は授業がありました、聞くとことによると会社で土曜日が休日になったとき、少なからぬ社員は「それじゃあ仕事にならない」とグチをこぼしていたそうです。
きっと当時の日本人から見れば、私たちはずいぶんと怠け者に見えるのではないでしょうか。
では私たちが生まれるもっと前はどうだったのでしょう、これは僕の想像ですが、人間が朝から晩まで働くようになったのは、産業革命によって工場というものができ、そこで人間が、あたかも機械の一部のようにモノを作り強いられるようになってからではないでしょうか。例えば日本の江戸時代では、暑い夏の間、職人や大工はひと月ほどほとんど仕事をしなかったと聞きます、暑いといっても今ほどではなく、せいぜい30度ほどだったはずです。
では当時の日本の大半を占めていた農村ではどうだったのでしょう、農作業は太陽の光に依存しますので、めいっぱい働いたとしても就労時間は日の出から日の入りまでだったはずです、しかも当時は電気もガスもありません、ご飯を食べようと思っても、いまと違い随分と準備に時間がかかったのではないでしょうか、朝ごはんの準備をするにしても日が昇ってからで、そこから朝食をとりやっと農作業です。土日は無かったと思いますが、農業は天候に左右されます。大雨がふれば作業はできなかったでしょうし、暑い夏の間は長時間の作業は難しかったのではないでしょうか、逆に寒い冬にさほどの農作業があるとは思えまん。
江戸時代以前の日本人からみれば、逆に私たちは豊かだけどいつも仕事に追われている、かわいそうな人たちに見えるかもしれません。
このように考えてまいりますと、時代とともに人の労働時間は変わってきたことがわかりますし、勤労という概念もその時々で随分と違うことがわかります。
ではこれからはどうなるのでしょう。
先日僕はメルマガで「ロボット化とベーシックインカム」について書かせていただきました、ベーシックインカム(以下BI)についてこのレポートで書かせていただいたことはないと思いますが、BIというのは政府が今まで給付してきた年金や雇用保険、低所得者向けの生活保護などを廃止し、代わりにすべての国民に一律のお金を支給するという考え方です。これから私たちの社会にロボットがもっと入り込み、仕事の多くはロボットで代替できるようになるでしょう、その時私たちに残される仕事はいったいどれほどあるのでしょうか、また私たちはどのようにして生活費を稼ぐことになるのでしょうか・・・ロボット普及の最大の問題点はここにあると僕は思います。
仮にですが、ロボットが私たちの仕事の大半を代替したとすればどうでしょう。
ロボットを導入する会社側は人件費を抑制できますので、今より大きな利益を上げることができるに違いありません、この状態を放置すればロボットの所有者に富が集中し、持つ者と待たざる者の格差は今よりに広がると思います。この格差を是正する機能があるとすれば、政府による徴税と分配ということになるでしょう。つまり国家がロボットに課税したり、ロボットの導入によって拡大した法人の利益に対して課税するという考え方です、一方でそのようにして集めた税を政府がBIとして国民に分配することができれば、格差を小さくすることができるはずです、言い換えればこれはロボットが作り出した付加価値を、社会全体で享受するということです。
ただしこの考え方にも一つ問題点があります。
それは労働をしなくなった人間が、勤労精神を忘れて怠け者になってしまうという懸念です。ロボット化が進み、私たちが仕事をする時間が劇的に減るとどうでしょう。例えば仕事は週に3日ほど、それも朝10時から夕方の4時までです、夏休みなども格段に長くなり、子供と同じほどとれるイメージです。今の私たちから見るとずいぶんと緩い感じに見えますし、いくらBIが支給され金銭的に困らないといっても、果たしてそんなに怠けていいんでしょうか・・・勤労が美徳とされてきた時代に育った私たちからみれば、ちょっと不安になりますが、前段で考えてきたように、勤労や就労時間に対する考え方は時代とともに変化するものです。
ロボット化された社会では、勤労を通して自己を表現するという考えは過去のものになり、例えば趣味や遊び、旅行や自分が好きなテーマにおける研究などを通して自己を表現することに、人は生きがいの重心を移すようになるかもしれません。そういえば日本でもそのような時代がありました、例えば江戸時代の絵師、有名な伊藤若冲は青果を扱う大店の跡取りでしたが、早々に店を弟に譲って絵に没頭しました。ほかにも同時代には才人が群がるように世に出ました、有名なところでは和算の関孝和とそれに連なる系譜、日本地図の伊能忠敬、原始共産主義思想の安藤昌益、エレキテルの平賀源内、からくり人形の田中儀右衛門・・・いずれも勤労という束縛から自由になり趣味や研究に没頭した人ですが、このような人が出る背景には、社会が豊かになり金銭的な束縛から自由を得る人が出てきたという点があると僕は思います。
これからやってくるであろうAI&ロボット化社会では、私たちは勤労=美徳というしがらみから自由になり、江戸時代の才人たちのように仕事以外で自己を表現したり、自己を研鑽することに人生の目標を見つけるようになるのかもしれませんね。
大変すばらしい近未来ではないでしょうか。
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