過去に書いた経済コラムよりFrom the economic column I wrote in the past
どこまで広がる貧富の格差
2021年5月末日
株が上がるから富裕層の資産が増える、
富裕層は儲かったおカネで株に投資する、
株におカネが流れるから株価が上がる
株が上がるから富裕層の資産が増える・・・
物事がいったんこのように動き始めますと、なかなか止まらなくなってしまうようです、アメリカでもヨーロッパでも、そして日本でも、富裕層と一般庶民の保有資産の差は広がる一方です、世界の富裕層2153人の資産が貧困層46億人の資産を上回るなど、あってよいことではないと思うのですが、おカネの流れに善悪はありません、それをいじる人間の品格が投影されているだけです。
そういえば大むかしアスキーという会社を創業した方(たしか西さん)がおっしゃっていました、
「おカネをたくさん持っていたあの頃よりも、あまり持っていない今のほうがよほど楽しい」
もちろんその方は、そのむかし富裕層に属していた方なので、私のような庶民と次元が違います、それでもおカネが増えることの効用は、たとえば1億円、2億円といったあたりでピークに達し、それ以上のおカネが増えても満足感はさほど増えないのかもしれませんね。
であれば私たちはなぜ少しでも多くのおカネを集めようとしてしまうのでしょう。
1人が1兆円持つよりも、1億人が1億円ずつもつほうが、幸福感の総和という意味ではよほど大きくなるはずですし、おそらく社会にとっても好ましいはずです。
きっと今すごい勢いで進行しつつある貧富の差は、社会全体を不幸にしているだけではないでしょうか、にもかかわらず私たちはこの問題に歯止めをかけることができません。
いっとき私たちは社会主義という平等実現の実験を試みたことがありましたが、お隣の国で起きている格差拡大をみると、その実験は失敗に終わったとしか思えません、言い換えれば貧富の差は政治の形態とは別の次元で起きているのだと思います、つきつめれば格差拡大は私たち自身の心の問題ではないでしょうか。
もし人が、お金持ちになればなるほど、おカネの増加に対する満足感が逓減してゆくのであれば、1兆円持っている人が1000億円儲けてもさしてうれしくはないはずです、にもかかわらず1兆円も持っているひとはその1000億円を欲しがります、それほどおカネに対する人間の執着は強いのだと思います。
(おカネと満足感の関係)
冒頭申し上げたようにいったん物事が一方向に動き始めると、それを止めるのは容易ではありません、格差の拡大も同様で、いったん進み始めたら限界を迎えるまで拡大し続けるのかもしれません。
そして限界に到達して初めて私たちは富を分け合う仕組みを作るのかもしれません。
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