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From the economic column I wrote in the past

人はおカネから逃れられないのか

2022年6月28日

「おカネにまつわるアドバイスを生業としているあなたが、
なぜそんなことを考えるの?」と不思議にお思いかもしれません。

でも時々「何とかおカネに縛られずに生きてゆくことができないものか」などと
考えてしまいます。

人生にはいろんな煩悩がありますが、
おカネへの執着は、人間の煩悩の中でも一番大きいかもしれません。

僕はもっと大きな家に住みたいですし、
もっといい車に乗りたいとも思います、
株の配当だけで生きていけたらいいなと思いますし、
逆に持ち株がぜんぶ吹っ飛んでも大丈夫なように、
もっと現物資産を増やしたいとも思います。
仕事は半分趣味のようなものですが、
それでもこんな暑い夏は、
南の島でひと月ほどゆっくり過ごしたいと思うこともあります。

こんな妄想がぜんぶ煩悩だとわかっていても、
そしてこの歳になっても、
僕はおカネに対する執着から逃れることができずにいます。

おカネをいっぱい集め、
楽をして生きたいと思う心が自分自身をおカネに縛り付けているのです。

株価が下がると不愉快ですし、ある台湾の半導体企業の初任給が、
日本の同業より30%も高いと聞くと日本の将来が不安になってしまいます。

こんなことならハナからおカネなど求めず、
質素な生活に満足するほうがよほど豊かな人生を送れるのではないかと
考えたりもします。

いわゆる「足るを知る」というやつです。

もし人生の豊かさと、集めたおカネの多寡が無関係なら、
それは素晴らしいことだと思いますし、
私たちはその境地を目指すべきだと思います。

そのような境地に至れば私たちは皆おカネから解放され、
より豊かな人生を送ることができるはずです。

でもそこがなかなかうまく行きません。

僕は15年ほども前にブログで「足るを知る心」についてコラムを書いたことがありました、たしか足るを知ることの大切さと、そのような境地にはほど遠い自分の未熟さについて書いたつもりでしたが、あれから15年ほど経った今でも「足るを知る」境地には1ミリも近づいていません。

60歳にもなれば多少は悟りに近づけるのかと当時は思いましたが、キリストやお釈迦様は知らず、僕のような凡人にとって「足るを知る」境地は、永遠に到達できないに違いありません。

いまではむしろ逆に僕のような凡人は、意のままに「おカネを集め、おカネを散ず」ことによってのみ、おカネに対する執着から自らを解き、その呪縛から逃れられるのではないかと思うようになってきました。

もちろん職業柄、意のままにおカネを増やすことなどできないのは十分知っているつもりです。

それでも強い目的意識と忍耐力をもって取り組めば、長い月日の経過のなかで、「おカネをコントロールする」ことは不可能でないということも僕は知っています。

そしてそのようにして膨らんだ自分のおカネを、自分のため、家族のため、周辺にいる人たちのため、そして社会のため有効に使うこと、つまり「有効におカネを散ず」ことも、強い意志をもってすれば可能だと思っています。

僕のような凡人にとっては「足るを知る」という悟りの境地を目指すより、「自由におカネを集め、有効におカネを散ず」ことを目指すほうがよほど現実的であり、なおかつそれが唯一おカネの呪縛から逃れる方法ではないかと思うのです。

それが20年近く、職業としておカネに向き合ってきた僕の結論です。もちろん簡単なことではありませんが、長期で取り組む価値のある目標だと僕は思います。

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