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From the economic column I wrote in the past

人間の心は進化しているのか

2023年2月28日

ぼくは時々考えます、この2000年のあいだ科学技術は格段に進歩しましたが、
人間の心はどうなのでしょうか。

たとえば僕が2000年前のご先祖様と話ができたとして、
その時いったいどんなふうに感じるのでしょうか。

なんの違和感もなく、まるで現代人と話すように自然に会話ができるのでしょうか、
それとも、ご先祖のあまりに幼稚な発想にあきれ、会話に疲れてしまうのでしょうか、
あるいは逆に、その精神性の高さにふれて威圧感を覚えてしまうのでしょうか。

そんな突拍子もない機会が訪れるはずはありませんが、
それでも先人が残した遺物、たとえば書籍や芸術、芸能、建造物などを見る限り、
2000年前の人たちが、その精神性において私たちより劣っていたとは思えないのです。

とくに宗教に関して言えば、仏教にせよ、キリスト教にせよ、イスラム教にせよ、
いずれもすでに2600年から1400年ほど前の古代に体系ができたものです、
言い換えれば少なくとも宗教という点において、いまだ私たちは先人の領域を超えることができていないのです。

こんなふうに考えてまいりますと、
どう考えても私たちがその精神性において、この2000年のあいだに大きく進歩したとは思えません。

一方で科学技術という点ではどうでしょう。

2000年前にギリシャ・ローマで幾何学やそれに基づく建築技術が発達しましたし、
その後、中国でも紙や火薬、羅針盤など発明されたそうですが、
たとえば2000年前と現代を比べると、科学技術の水準という点では天と地ほどの差があることは明らかです。

とくに通信技術の進歩によって私たちの生活は格段に便利に速くなったのは間違いありません、また医学の進歩によって寿命も延びました。工業や農業技術の進歩によって良質な商品が安く手に入るようになり、その結果、人口は爆発的に増えました。

言い換えれば精神性において2000年前と大差がない一方で、
科学技術のほうはやたら進歩してしまったというのが現代の特徴の一つではないでしょうか。

たとえばアフリカでは今でもたびたび大量虐殺が起きますが、
おそらく2000年前のアフリカではそんなことは起きようがなかったと思います、
私たちは心の発展段階に比べあまりに強力な武器を持ってしまった結果、
多くの隣人を殺傷してしまう現状を作り上げてしまったのではないでしょうか。

アフリカは極端な例ですが、
いまウクライナで起きていることも、
もとをただせば精神の貧弱さにくらべ、あまりに高い科学技術を持ってしまった悲劇といえなくはありません。

さらに視野を広げると北朝鮮による核の恫喝や、
ミャンマーで今起きていることも、
そして近々台湾で起きるといわれていることなども、
このアンバランスによって起きているのだと僕は思います。

果たしてこの先、人間はその精神を進化させ、
科学技術にみあった心の領域に到達することができるのでしょうか。

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