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From the economic column I wrote in the past

技術の進歩と人間の心

2025年2月28日

随分と前から考えてきました。

人間の心が成長する速度と、
人間の技術力が進歩する速度を比べると、
いったいどっちが早いんだろうか。

答えは明らかだと思います、
ちょっと大げさかもしれませんが、
特に18世紀に起きた産業革命以降は、
圧倒的に技術のほうが上回っていると思います。

振り返れば産業革命が起きるまえ、
たとえば1700年あたりまで、
人は機械で動く乗り物や通信機を持っていませんでした、
したがって情報の伝達は全て人力もしくは馬のあし頼みだったはずです。

この情報伝達の遅さは、
技術の進歩を阻む要因になっていたと思います。

一方で17世紀以降のヨーロッパが、
なぜあれほどの速さで技術力を進歩させたかを考えると、
その大きな要因は情報伝達の速さと、
結果として起きる相互模倣にあると僕は思います。

たとえばヨーロッパでは、
15世紀にドイツで始まった木版印刷によって、
大量に複製された活字情報がヨーロッパ中に広がってゆきます、
でもその速度は物理的な人の移動速度を超えることはできなかったはずです。

注)活版印刷は11世紀の中国で始まりましたが、漢字は文字数が多くて活版の作成に適しておらず、さほど普及はしなかったそうです。活版印刷の技術はモンゴルによってヨーロッパにもたらされ発展してゆきます、ヨーロッパのアルファベットは26文字しかなかったため、活版印刷に適していたといわれています。

つまりヨーロッパにおける相互模倣は、技術の進歩にとって重要な要素ではありましたが、その拡散速度は人の移動速度を超えることができなかったわけです。

この模倣の速度を劇的に上げたのは1700年代に発明された蒸気機関でしたが、その後の1800年代には電信システムの発明、さらにコンピューターの登場という具合に、情報の伝達速度は世界中を巻き込みながら加速度的に上がってゆきました。

このようにして新しい技術が高速で拡散し、さらに各地で模倣されまた戻ってくる・・・、言い換えれば「技術の循環的な模倣」により、世界の技術は乗数的なカーブを描きながら発展しているよう思います。

たとえば私たちがパソコンを使い始めてたったの30年ほどしか経っていませんが、当時できることといったら文書の作成が中心で、まれに表計算をする程度にすぎませんでした。

その後はメールの送受信、ネット検索やショッピング、翻訳や音声による文書作成やプレゼン資料の自動作成、ビデオ会議に契約書の作成や誤り訂正などなど、年を追ってできることが増えています。

コンピューターだけではありません、僕が生まれた頃には宅急便はありませんでしたし、コンビニも新幹線もありませんでした、スマホを使い始めたのはホンの数年前でしたし、むかし株の取引だって店頭でやっていたものです。こうやって振り返ると、技術の進歩の速さに驚きます。

一方で人間の心のほうはどうでしょう。

たとえば私たちが平安時代に戻り、私たちのご先祖さまと話をしたとしましょうか。果たしてご先祖さまに未熟さを感じるのでしょうか、それともなんの違和感もなく話ができてしまうのでしょうか、あるいは逆にその精神性の高さに圧倒されてしまうのでしょうか。

僕は案外と、なんの違和感もなく話ができてしまうのではないかと思います。

平安時代に行ったことはないので確信をもって言うわけではありませんが、感じとしては「田舎にいる親戚と話をするのに近いんじゃないか」などと勝手に考えています、少なくとも徒歩とメールの差ほどはないと思います。

たとえば宗教について考えてみましょう。

よく世界の三大宗教などと呼ばれますが、仏教にせよ、キリスト教にせよ、イスラム教にせよ、いずれも1400年よりもっと前に成立したものです。そういえば司馬遼太郎さんが「一冊だけ無人島に持っていけるとしたら、私は歎異抄を持っていく」という内容のお話しをされていましたが、歎異抄も800年ほど前に書かれた本です。

源氏物語を読んでも古さは感じませんし、世界の古美術や絵画、イスラムの建造物などをみてもその美しさ、作り手の精神性の高さを感じます。音楽の世界も同様で、ヨーロッパのクラシック音楽は時代を超えて演奏されていますし、オペラやバレエも同様です。

こんなふうに見てきますと、私たちの心のほうはさほど進歩していないような気がします、すくなくとも技術ほどに進歩していないのは間違いありません。

つまり現代の社会は「技術の発展速度と精神性の進歩の速度が著しくアンバランスな状態」にあるのだと思います。

もしそうだとしたら、このさき一体どんなことが起きるのでしょうか。

一つ考えられるのは精神性への回帰です。たしかに技術的な進歩は大切ですが、こころとのバランスが崩れると人は病んでしまいます。たとえば街を歩いても、食事をしていてもスマホから離れられない人をよく見かけますが、これは心が技術に占拠されているからではないでしょうか。

いずれ揺り戻しが起き、スマホや通信から解放される時間の大切さが認識されるのではないでしょうか。

美術や芸術、芸能などへの関心も高まると思います。AIや通信の高速化、ロボット化などによって、人は多くの自由な時間を手に入れることになるでしょう、先ほどの「アンバランス理論」が正しければ、人はその時間を使ってよりこころの豊かさを目指すことになると思います。

そしてもっと大切な予想は、「未熟な心が高度な技術を持ってしまったがゆえに生じる混沌」だと思います、このお話の続きは商品相場のところで書かせていただきます。

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