過去に書いた経済コラムよりFrom the economic column I wrote in the past
AIは人を幸せにするか
2025年3月31日
僕は今でも時々小さかったころを思い出します。
僕が生まれたのは1961年ですから、まだ日本が豊かになる前です。
木造の小さな家に家族で住んでいて、風呂もなければシャワーもなし、かろうじて便所はありましたが汲み取りでした、どの家の前にも木や石でできた大きなゴミ入れがおいてあり、ゴミはそこに入れたものです、時々「ゴミ屋さん」がやってきてゴミを回収していくのですが、それとは別にゴミをあさる人がいたのを覚えています。冷房はもちろんなく、暖房器具といえ火鉢だけでした、冬はひたすら厚着して寒さに耐え、夏の夜はタライの行水でしのぎました。靴だって今と違って質が悪く、冬には必ずシモヤケになったものです、あまりつらくて母親にうったえると、ぶっとい縫い針でつつかれて血を出されました、真偽のほどはわかりませんが、母曰く「シモヤケは血行が悪くなり血が固まってできる」のだそうです。あとつらかったのはくちびるのひび割れです、今のように便利なリップクリームはなく、冬に空気が乾燥してくると、くちびるが切れてご飯を食べるのも一苦労でした・・・・・。
こうやって書いているとどんどん昔を思い出してしまいます。
といっても僕の家が特段貧しかったわけではありません、当時ようやく戦争の荒廃から復興しつつありましたが、日本全体が似たり寄ったりだったと思います。
でも当時はそれが当たり前でしたし、少なくとも僕は全く不幸だと思いませんでした。
近所の人たちはみんな仲が良く、どの家も子だくさんでした。僕と同年代の子供もたくさんいて、毎日のように路地に集まって遊びました。鬼ごっこ、町内一周マラソン、缶蹴り、虫取り・・・遊びは無限にあり、毎日疲れきるまで遊んだものです。
こうやって振り返ると、この60年で日本は随分と変わりました。
食べるものはおいしくなり栄養状態も改善して体格もよくなりました、家は大きく立派になり、大概の家は冷暖房があって快適に過ごせます。行政サービスもよくなり毎日のようにゴミ収集車が来るので街は清潔になりました。
日本人がたくさん働いて豊かになったというのもありますが、世界的規模で急速に進む、技術発展の恩恵を受けているのは間違いありません。
ではなぜこの60年間、これほどのスピードで技術は発展したのでしょう。
最大の理由はエレクトロニクス化の進展、とくに「コンピュータ通信」にあると僕は思います。「コンピュータ」だけでもなく「通信」だけでもなく、両方が同時に発展したところがミソです。人間に置き換えるならコンピュータは頭脳で通信は神経系です。どちらか一つだけでなく、この2つが組み合わさって急な変化が起きていると思うのです。いくら頭のいい人がいっぱいいても、人と人の交流がなければ技術の発展速度は上がりません、お互いが模倣しあうことによって乗数的な速度で技術は発展するのでしょう、つまり「頭脳=コンピュータ」と「通信=デジタル通信網」が合わさることによって乗数的速度で技術が発展する状態、それが今だと思います。
たとえばスマホについて考えてみましょう。
アイフォンを始めて見たとき、僕はカッコイイなとは思いましたが、まさかここまで深く生活の中に入ってくると思いませんでした。なんでも1960年代の大型コンピュータほどの頭脳を持っていると聞きます。スマホのすごさはコンピュータとしての機能だけではありません、ネットを通じた情報のやり取り、言い換えれば通信機能もスマホのすごいところです。おかげで私たちはいつでも世界とつながっていられるし、受け取った情報をスマホ頭脳で再処理するもできます。よく「通信の効用は、その通信に参加する人の数の二乗に比例して高まる(注)」的な話を聞きますが、スマホという「高性能コンピュータ付き通信端末」の拡散によって、指数関数的速度でネットの効用は高まっているのだと思います。
注)メトカーフの法則:ネットワークの価値は、接続されているユーザー数の二乗に比例する
もうひとつパソコンの進化もみておきましょう。
僕が初めてパソコンをみたのは新卒で三洋電機に入社したころだったと思います、当時はフロアに2台ほどしかなく、空いていたら使うという感じでした。当時僕は財務部に配属され、たしか「未実現利益」の計算をパソコンでやっていました。単体決算を連結決算に組み替える際、さまざまな経費をパソコンで連結決算仕様に再計算していたのです。なんでもそれまでは一件一件電卓で計算して紙に転記していたそうです、たしかに電卓時代に比べると計算は早くなりましたが、しょせん当時のパソコンは通信機がなく、外部のデータをダウンロードして使ことができませんでした。なので自分で打ち込むしかありません、「打ちこむ」といっても全従業員のデータです、目いっぱい1日がかりで入力した記憶があります。忘れられないのは最終日、もうちょっとで完成だというときに、僕のつま先が電源コードにふれパソコンの電源が切れてしまいました、新卒の僕には時々セーブするという常識が抜け落ちており、一からやり直しになってしまいました、随分と先輩に叱られたものです。
いまならサーバーに上がっているデータにアクセスし、たぶん10分くらいですべて終わるでしょう。
あれから40年がたちパソコンは随分と進化しました。もちろん頭の部分、すなわちCPUの処理能力は随分と上がりましたし、内部メモリーの容量も格段に増えました、それにもまして革新的な進歩は通信機能だと思います。40年前と違って私たちは他人の知見を流用できるのです。
まあこうやってコンピュータと通信が融合することによって、私たちの生活は格段に便利になったし生産性も高まりました、コンピュータ通信が社会の基盤になることで、技術の発展スピードは異次元の領域に入ったといえるでしょう。
そこにもってきてのAIです。
AIとはいったい何なのでしょうか、
『ネット上に存在するあらゆる過去の情報から必要な知見を集めてきて、それに基づき判断をする機能』
こんなふうに考えることができると思います、もしこの解釈が間違っていなければ、AIが私たちを超えることはないはずです。でも言い換えれば、私たと同じ程度の知能はもてるはずです。
高度な通信機能に持ってきて、さらに頭脳も私たちレベルの水準にある主体がネットワーク上に無数に居る・・・
もしそうならかなり不気味です。
AIに依存する私たちが頭を使う機会は間違いなく減るでしょうし、逆にネット空間での楽しみは増えるはずです、体を使った労働は減るでしょうし、自由な時間も増えるはずです。生活はさらに豊かになるでしょう。
でもそんな世界は幸せなのでしょうか。
僕はそうは思いません、しかも得体のしれない隣人AIが無数にいる世界です。
PCも通信もテレビゲームも、自動運転も、メールもAIもなかった時代を僕は知っていますが、あの頃と比べAI時代が幸せだとは思えません。
便利さが幸せなのか、
豊かさが幸せなのか、
ビデオゲームで遊ぶことが幸せなのか、
同年代の子供たちと路地で遊んでいたころのほうが幸せだったように思います、当時の大人が幸せだったかどうか・・・、今となってはわかりませんが、子供だけ楽しくって大人が不幸な社会などないと思います。当時の大人はほとんどいなくなりましたが、もし彼らに尋ねたら、たぶん「AIなどない昔のほうが楽しかった」というのではないでしょうか。
でも技術の進歩は不可逆的です、私たちはもうAIのない時代には戻れません。
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